チャールズ・エイセンマンについて



 


ニューヨーク、バワリー街でスタジオを構えていたCharles Eisenmannは、ヴィクトリアン期に活躍した見せ物小屋の人々を古風な書き割りに配して興味深いポートレートを、外見的には普通の人々を写する傍ら、1870、80年代に撮影し、プロマイドとして販売していました。

ヴィクトリアン特有のバッスルドレスや金のタッセルやモールで飾られたスタンドカラーの軍服、お袖のパフったロマンティックな衣装は過剰な彼等の容姿を際立たせています。まさにトップモデルの貫禄です。



   


肥満症で小人のSophia Schultzは写真を撮られることが大好きで、新しい洋服を拵えてはエイゼンマンのスタジオを訪れた。最初の撮影時、既に薄らと髭があったが年を重ねてくるとチョビ髭となり、最終的には濃く描き足して撮影された。


  



美しい顔と、巨大な足までもを天から与えられたFanny Millsの触れ込みは、彼女の婿養子として婚約した者へは5000ドルの結納金とオハイオの豊かな農場を与えるというものだった。



 


彼ら、奇想天外なルックスの人々の生き様はまさに驚愕の人生で、いつも気の利いたソックスを履いてる4本足のMyrtle Corbinは健康に機能する二つの下半身を持って居り、それぞれから2人と3人を出産した。



 


19世紀では身体の欠落、過剰への考えが今とは大きく違い大らかで、生死に関わらない状態の場合、大金を稼ぐ事が出来る彼らは多くの旅をし、注目され、大金を稼ぎ、幸せな結婚をした。骨盤から直接足が生えているEli Bowenの様に。



   


私が変身してみたいJoJo、ロシアの犬顔男の子は丸で美女と野獣の野獣の如く魅惑的な容姿で興行的にも大成功したひとりです。

ベルメール、モリニエ、マン・レイ、ビートン等シュルレアリズムの有名な私のコレクションに飽きて、もっと生々しい、刺激的な写真に注目した時、芸術の根拠が無い変わった記録や明治時代の医学写真、まがまがしい心霊写真の収集を始めました。

これらの写真の被写体は総て生きている人々で、いわゆる人間の生活をしていたところと、彼ら突飛な人々の個性を活かす為に考えられた書き割り、小物、アングルに見て取れるエイゼンマンのテクニックが面白い。



 


親指トム将軍の見せ物で成功し、ヴィクトリア女王から接見を受けた大興行師Phineas Taylor Barnumはフリークスを神と崇めた(金のなる木?)。おぞましい考えを持った男に見える、「大衆の好むものは三つある。新規、新規、そして新規だ。」というわかりやすい名言を残したこの如何わしい男は1885年にエイゼンマンによるポートレイトに署名をしている。






成山画廊は約300点のエイゼンマンのヴィンテージプリントと、フリークス漫談が得意なE.H.ジェンキンスが収集した突飛な人々の写真700枚が集められたアルバムを所蔵しています。








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「人形の遊び」 1949年

写真:ハンス・ベルメール
詩:ポール・エリュアール

ドイツ、ルネッサンス期の人形からヒントを受けたベルメールは、等身大の間接が動く人形を制作し、一気に少女への好奇心を具現化し始める。

丸でベルメールの自慰の記録の様な作品「人形の遊び」は自作の人形を自ら撮影したゼラチン・シルバー・プリントに6人のシュルレアリストによって発色が良く、有毒なアニリン・インクを用いて彩色されオリジナルプリントを張り込んだ写真集となった。サルバドール・ダリの妻として知られるガラの最初の夫、ポール・エリュアールの既存の詩と共に収められている。

スイスでベルメールによる彩色指示見本を見た事があるが、実際刊行された「人形の遊び」とはサイズを含め大きく印象が違っていた。実際刊行された「人形の遊び」でも2冊を並べ比べてみるとトリミングや彩色が違うもの、ネガ自体が違うものがあり、試行錯誤なのか曖昧なのか考えさせられる。

木の陰から顔がのぞくイメージはハンス・ベルメール自身に良く似た弟フリッツが顔を出しているものと体のシルエットだけが写っているものがある。直立した人形の着色にも大きな違いが見て取れる。








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「円卓の騎士」 1937年









「オペラ」 1927年









「詩の評論 II」 1960年




ジャン・コクトー 全て初版本、扉にサイン

コクトーの初版本をフランスで探すと、時折扉にサインと共に洒脱なコクトーらしいイラストが描かれています。日本では劇団四季が演じた「海賊」が有名な劇作家マルセル・アシャールに宛てた「円卓の騎士」には若き日のジャン・マレーを思い浮かばせる書き込みがありました。








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セルジュ・リファール 「イカール」 1940年代から50年代 水彩、インク

ウクライナ出身のダンサー、後に振り付け家となったリファールは当時音楽から霊感を受け振り付けを構想するという音楽至上主義であったバレエ界に、まずダンスがあり、それに音楽を付けるという考えを打ち出し、近代バレエに革命を齎した。ピカソに絵の手解きを受けたというマン・レイの被写体としても有名なこの踊り子が描いた代表作「イカール」のイメージ。








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小村雪岱 「タイトル不詳」 昭和時代 紙に墨

泉鏡花の本の装丁でも有名な日本画家、小村雪岱が描いたこの落款が無い新聞小説の挿絵原稿は名古屋の古書店で発見し雪岱の弟子、山本武夫氏に真筆と認めて頂きました。描かれている人々が洋装で帽子をかぶっているこの絵は、デコ期の日本人の風俗をも盛り込んだ面白い絵だと思います。








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アレクサンドル・ロトチェンコ 「労働者クラブ」 1925年 ゼラチン・シルバー・プリント / ビンテージ・プリント

生活と芸術を結びつけようと考えたロトチェンコが労働者の憩いの場、労働者クラブの家具をデザインし、パリ万博で発表した様子を彼自身が撮影しています。中央にロシア文字で彼の指導者レーニンの名が掲げられています。ロトチェンコの構成のダイナミズムは日本画家、意匠家としても有名な小村雪岱によく似ていると思います。恐らくですが、資生堂に務めていた雪岱は、ロトチェンコのデザインから霊感を受けたのだと思います。








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左: 矢頭 保 「切腹」 1960年代 ゼラチン・シルバー・プリント / ビンテージ・プリント 

「体道」「裸祭り」「OTOKO」と男性に注目した写真集を残した宝塚歌劇団男子部出身、日活映画でも俳優として活躍したこの風変わりな写真家に、三島由紀夫は彼自身の性的傾向を満足させるべく露骨ながらも美しいポートレイトの撮影を依頼した。三島はこの手札判7枚綴りの写真を懐から取り出しては友人の芸術家や鹿児島など地方のファンに自慢げに見せびらかしたという。三島の茶目っ気が見て取れる。鮮血に見えるものは子供が食べる駄菓子、チューブ入りのチョコレートである。




右: 矢頭 保 「1970年第16代ミスター日本 武本宣雄選手」 1971年
ゼラチン・シルバー・プリント / ビンテージ・プリント

ボディービルに注目した写真集「体道」に多くの写真が掲載されている70年代のミスター日本、ボディービル大会優勝者のポートレイトはヴィンテージプリントが40点程残されています。矢頭のビンテージプリントは内外に散逸し、纏めて展覧出来ない状況にあります。この写真はモデルの働くジムの入り口で撮影されたスナップではありますが、衣類に強靭な肉体が浮かび上がっている矢頭らしい作品。



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