ディミトリ・ホルタ
2002年4月1日(月)- 4月27日(土)
成山画廊により日本へ初紹介されるスイス、ローザンヌ生まれのディミトリィ・ホルタは、本国スイスだけではなく、ドイツ、ポルトガルなどでも活躍し、非常に注目されている存在である。彼の描く絵画の世界は大別すると三つの方向性に分かれている。
(1) ふくよかな脂肪に包まれた女性の流動を、局部的にクローズアップで切り取り、細密に描写するオイル ペインティング。13x13cm、6x12cmといった小さな画面に、乳房、腕、太ももが黒い背景の中で重なりあい、人間が最も身近なはずの人体という物質の造型の不思議さを封じ込めている。
(2) アール ブリットと呼ばれる芸術様式の構造を引用して、誰しもが子供時代に持つ特有の無邪気さ、残酷さ、危うさを稚拙なタッチで抽出するオイルペインティング。このシリーズは自作の無骨な額に収められ、表面にグラスファイバーを流し込み、独特なマチエールを作り出しているため、一言で平面作品と言い難いオブジェ性の強いものとなっている。
(3) 手のオートマティックな感覚に任せ、奔放なイメージの世界を遊ぶ鉛筆ドローイング。その線は、それ自体が生命を持つかの如く自由に流れ出し、主に人間らしきものが描かれているが、その人間(多分女性)は作者さへ意識していない超現実の世界の住人であろう。その人間達は、切断され、ねじ曲げられているが喜々とした生命力に溢れている。
これらの三つの方向性は、一人の作家により描き出されているとは思えない程、異なった絵画空間の異相を持っている。その中で唯一共通していると思われるのは、人間に対する興味、性に対する強い衝動であろう。彼の作品は、人間を注視しながら、その奥にある生命の神秘、人間は何処から来て、何処へ行くのだろうといった根源的な哲学的問題の考察と言って良いのだろう。彼の作品を前にした時に覚える不思議な不安や胸騒ぎはそんな所から来るのかもしれない。今回成山画廊で展示される作品は前途の(1)と(2)にあたる作品群。私はこの展覧会が、ここ日本において火急に必要なものだと思われる。現在の日本の美術シーンでは、安易な自己肯定を新しいスタイルだと履き違がへ、単に日常を引き写しただけの写真や映像作品が氾濫している。その中で彼のように現状に安住する事無く、険しい道程だと知りつつ、ここではない何処かを求める精神は希有な存在だと言えるであろう。彼の一見アナロジカルに見える作品は、今日的な観客には馴染みのないものかもしれない。しかし常に人間を参照し、生命の根源に立戻る作業からしか、明日への希望を切り開く芸術は生まれないだろう。その意味でこの展覧会が日本の美術シーンに大きな一石を投じる役目を担うことを私は確信している。
- 長澤 章生
ディミトリィ・ホルタ
Dimitri Horta
個展
1997 |
ルツェルン、ギャラリー ハンネローレ・ロッチャー |
2000 |
ポンタ・デルガータ、ギャラリア フォンセカ・マセド |
グループ展
1991 |
バール、アトリエ団体 シュピネライ・バール |
1996 |
シールブルック、ギャラリー ヒルフィカル
ルツェルン州国立美術館「スイス人アーティストによるクリスマス展」 |
1997 |
ツーグ州国立美術館奨励美術展
チューリッヒ、ギャラリー ビクター・フェドゥシン |
1998 |
ポンタ・デルガータ、ギャラリア アルコ8 |
1999 |
フランクフルト、シゥインド ギャラリー10年祭 |
2000 |
ルツェルン、ギャラリー ハンネローレ・ロッチャー「イントロダクション2000」 |
アートフェア
1999 |
フランクフルト アートフェア
チューリッヒ、クンスト99 |
カタログ
1998 |
ポンタ・デルガータ、ギャラリア アルコ8 |
2000 |
ポンタ・デルガータ、ギャラリア フォンセカ・マセド |
|
「線に捧げる」現代美術とメディア出版(Nener Kunst und Medienverlag)チューリッヒ |
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