松井冬子下図展

2009年12月4日(金)- 12月26日(土)



無傷の標本 大下図 2009
紙、トレーシングペーパーに鉛筆
82.5 x 58cm






本来の正しい日本画家の作画の特徴として、描く対象を実際に見て下図を作る事に注目してみますと、 松井冬子の独創性を強く感じます。例えば狂った水仙を描いた「Narcissus」では奇形の野の花を取 材し、その特徴と本来の形体を合わせて松井の水仙が誕生しました。主要な美術大学受験予備校の参考 資料となっている彼女のデッサンの持つ確実な写実力、表現力を実際にご確認頂ければ幸いです。





陰刻された四肢の祭壇 習作(大学院修了制作作品背景) 2007 紙に鉛筆 107 x 154cm



「美術家にとって素描とは世界にアクセスするための第一段階である。

形状、質感、色などを記憶して残すため、あるいは感覚を記憶に閉じ込めるための手段であり、すべての ペイントの起点になるものと言える。
作品が生まれるための初歩段階である「素描」には、上記のようなぶつ撮り的記憶に近い素描と、個人感覚 の痕跡としての素描とに大きく分けられる。
前者は制作する際、伝統的な手法によって制限を受けていたり、訓練によるスキルと運動自体が魅力となる。例 えば円山応挙、河鍋暁斎、川合玉堂など、日本画家は不断なる練習によって、水や煙などとらえ所のない対象を、 陰影を使わない線描のみでの表現を可能にし、奥村土牛などはプリミティブなライブ感覚とは異なる完成された 作品として素描を打ち出している。後者はそのような制限から離れた対置におり、作者の原始的な感覚に魅力の比重 が置かれる。例として写真家ピエール・モリニエや彫刻家のオーギュスト・ロダンの素描にはペインターとは異なっ た、触感的で官能的な性質を見ることができるし、ジュリアン・サルメントはイメージを還元し、感情を喚起する事に 成功している。また、その他にディノス&ジェイク・チャップマンなどは意図的に稚拙なテクニックを使って素描を無 意識の媒介として利用している。

素描は、完成された作品よりも極めて魅惑的であるケースは少なくない。

なぜなら、描き手にとっては世界にアクセスする初歩段階としてのフレッシュな手段であるがゆえに、我々は四畳半の 部屋に転がるテッィシュを見せられるような、リアリティを垣間みることができるからである。またそのシンプルさゆえ、 モチーフやテクニック、コンセプトによって、描き手のパーソナルスペースに大きくシンクロできる可能性を秘そめてい ると言えるだろう。」

-松井冬子





終極にある異体の散在 小下図 2007 紙に鉛筆 107 x 154cm






Narcissus 大下図 2007
紙、トレーシングペーパーに鉛筆 77 x 64cm






松井冬子の展覧会一覧:





無傷の標本 小下図 2009
紙、トレーシングペーパーに鉛筆 88 x 74.5cm






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